モモ、さようなら。
皆さま、お元気にお過ごしでしょうか。もりたさんちのマルチーズです。もりたさんちのマルチーズのホームページですが、毎週末のブログ更新を目標としておりましたが、久しぶりの投稿となりました。もし更新を楽しみにしている方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ありません。悲しい出来事があり、気持ちに余裕がなく更新する気になれませんでした。時が経過し、気持ちが少し落ち着きましたので、ご報告させていただきたいと思います。
8月16日の21時ごろ、わたしのモモ(男の子)が亡くなりました。2012年5月14日生まれ、享年12歳。
ずっと考えないようにしていた日、いつか来るだろうとわかっていた日、心のどこかで恐れていた日、ずっと訪れないで欲しいと願っていた日。しかし無情にも、とうとうその日がやってきました。わたしに別れを告げ、モモは長い旅に出かけました。
生後わずか数か月から、それこそ十数年に渡り、雨の日も、風の日も、雪の日も、夏の暑い日も、ずっとわたしのそばにいてくれたモモ。ようやくわたしのような酷い飼い主から解放されて、気持ちよく旅立てたかな、迷ったりしてないかな、お腹は空かせてないかな、そんなことを思い、夏の空を見上げ、夏雲の間を元気に走り去っていく後ろ姿を想像すると、やっぱり涙が止まりません。
7年前、母親が亡くなり、天涯孤独になったわたしが悲しそうに泣いていた時、モモは隣で呼応するかのように一緒に悲しげに遠吠えをしてくれました。もうそんな優しいモモはいない。大声を上げて泣くなんて何年も経験がありませんでしたが、今回ばかりは我慢できませんでした。
そうだった、わたしは本当に悲しいとき、あんな泣き方をするのだった。
フラッシュバックが起きたように、涙が溢れ出でてきます。平静を装うため、モモとの思い出に蓋をして、モモのことを考えないように必死でこらえて生活をしておりました。しかし、モモは家族であり、戦友でした。モモに感謝し、忘れないためにも、モモと過ごした素晴らしい日々を思い出し、モモを偲びたいと思います。
モモという名のマルチーズ
モモとの出会い
モモは中田さん家のマルチーズから譲っていただいた男の子です。2012年5月14日に、母はララ、父はクッキーとの間に長男として産まれました。2012年7月12日にわたしの家族として迎え入れました。かねてよりペットショップは利用する気がなく、心あるブリーダーから直接、マルチーズを譲ってもらおうと決めておりました。
当時、わたしはまだ独身でした。母親はこのわたしを女手一つで育ててくれました。そんな母親に感謝の意を込めて、中古の家を購入して住んでもらうと思いました、そしてモモを迎え入れました。わたしの中では住む家とマルチーズを母親に用意することが、大きな親孝行になると考えての行動でした。
しかし母親は2016年、68歳の時、胆管癌で早くに他界してしまいました。わたしには肉親がおらず、わたしとモモ、2人だけでお葬式を行いました。生前、母親はモモを大変可愛がっており、モモがその真っ白なシルクのような被毛を背中から、ゆっさゆっさとたゆませながら歩くと、母親は他のマルチーズにはない風格があると感想を述べていました。
モモとの生活
モモは我が家では家庭犬として、家族同様に生活を共にしました。ただ漫然に甘やかすのではなく、人との共生を考え、しっかりと躾をしたので、どこを触っても、突然物を取り上げても、決して人を噛むということはしませんでした。ただ、モモの人生の後半は、わたしの結婚を契機に、我が家に子供が増えた事で多少のストレスはあったと思います。子供がモモの身体を撫でると、あまり良い顔をしていなかったように思います。
今年に入って、モモは眼が見えなくなりました。リビング内の移動は、手探り、鼻探り状態でした。しかし、そこは賢いモモ、長年住んだ我が家の構造が頭に入っているのか、眼が見えなくてもきちんとトイレの場所を覚えていて、きっちり決まった場所でトイレを済ませていました。
眼が見えなくなったあとも、今まで通り、寝るときの布団はわたしと一緒、いつも玄関のマットの上でわたしの帰りを待つ健気な犬でした。グルメなモモは、安いフードは全く口にせず、わたしが食べているものをよく欲しがりました。最期はK9ナチュラルをすり潰したものしか食べませんでした。
モモは家庭犬として生活していたので、繁殖といったことには関係せず、まさに自由気ままに過ごしていました。寒いときは布団やコタツに潜り込み、暑いときは少しでも冷えた床を探しては、お腹を出して人間同様に仰向けに、無防備に寝ていました。
わたしはそんなモモの真っ黒な鼻にキスをするのが好きでした。モモはいつも嫌がっていましたが、恐らくモモ本人は、わたしがモモのことを好きで好きで仕方がないのを全身で感じていたのだと思います。少々の粗相をしても怒られない自信もあったのかもしれません。そう、わたしはモモを愛していました。
また、わたしはモモの体臭がとても好きで、よく寝ているモモを仰向けにして、体中の匂いを嗅いだりしていました。とても愛おしい匂いがしました。
モモとの思い出
2016年に母親が亡くなって間もなく、わずか数か月の間ではありましたが、海外への出張が決まりました。頼る家族がいなかったわたしは、モモをどこへ預ければよいかわからず困っていました。自分のキャリアを考えた時、どうしても海外へチャレンジしたかった私は、出張手当を全額ペットホテル代に充てれば、費用は何とかなると算段し、安心して預けられるペットホテルがないかと、近畿圏内のペットホテルの設備や評判などを調べ上げました(この時の経験が今の犬舎のサービスに活かされています)。
そして、ここだと思うペットホテルを見つけ、そこへモモを預けることにしました。その際に、ペットホテルには、オプションにはないお願いをしました。数日に一度のタイミングでモモの様子を撮影して、画像と共にモモの様子をメールで送ってもらうというお願いでした。また海外で私の身に何かあったとき、会社の上司にモモの新しい飼い主としてペットホテルにお迎えに行って欲しいというお願いも聞き入れてもらいました。
数か月後に、無事に海外出張を終え、ペットホテルにモモを迎えに行った時、わたしは本当に会えるのが楽しみで楽しみで仕方がなかったのを思い出します。モモと数か月ぶりに再開した時、モモは今までに聞いたことがないような声で、まるで悲鳴のような鳴き声で飛びついてきたのを思い出します。その日は思いっきりモモを抱きしめて寝ました。
モモが旅立った日
モモは8月14日の週に入って、突然、体調が悪くなり、ゼェゼェ呼吸をしながら月曜の朝から一切の食事を取らなくなりました。動くのもやっとといった様子で、ふと、思い起こしたように突然起きて、トイレに向かう姿は、こんな状態になってもトイレはきちんと指定された場所でしようとする姿に、モモの真面目な性格が感じ取れました。
しかし、それも翌日の火曜になると、起き上がってトイレに行こうとするも間に合わず失禁してしまいました。怒るなんて当然、無理で「いいよ、いいよ、我慢したね」と声をかけるのが精いっぱいでした。そして、わたしの心は泣いていました。
いつも2階の寝室で一緒のお布団で寝るのですが、動けないのと、布団で呼吸ができなくなってはと思い、数日、一緒に下のリビングで雑魚寝する事にしました。心配で何度も水を与えては様子を見るという状況でした。なんとかモモは動けるものの、すぐに横たわるといった様子で、少しずつその時が近づいていると、覚悟をしました。
水曜日の夜になり、モモはエアコンが効いた部屋ではなく、なぜか玄関で涼んでいました。21時頃、洗面所から出てくると、リビングで横たわって、息絶えたモモが居ました。すぐに呼びかけ、身体をさすったところ、まだ亡くなって数分しかたってない状況なのはわかりました。
モモは、あの玄関の20cmはあるだろう玄関框(げんかんかまち)を最後の力を振り絞って登り、リビングまで来たのかと思うと、わたしは思わず大きな声をあげて泣きました。最期にわたしのそばにいたかったのかな、最期にわたしに挨拶したかったのかな、そう思うと、心が壊れそうになりました。
モモ、モモ、何度も名前を呼び「本当にありがとう」そう言って、モモに最後のキスをしました。
モモを見送った日
水曜日の夜、モモが旅立ち、わたしは茫然としました。しばらく何も考えられずいたのを覚えています。翌日から仕事だったわたしは、仕事先から動物霊園に電話し、明日の金曜に葬儀をお願いしたい旨を伝えました。
電話口に葬儀を担当する方から、お亡くなりになったワンちゃんのお名前は、と聞かれた際にどうやっても「モモ」の2文字が口から発声できず、嗚咽しか出ないような状況でした。
葬儀当日は、モモを助手席に乗せ、最後の時間を惜しむように運転をしました。そうだ、モモ、君は助手席に乗せると、いつも運転席のわたしの膝に乗ろうと頑張ってたよね。
葬儀場に着き、お経を唱えてもらい、火葬する前、葬儀を担当する方が「最後のお別れです」とわたしに告げました。最後に、冷たく固くなったモモの身体に顔を擦り寄せて、匂いをかぎました。そう、この匂い。まぎれもなくモモの匂い。どんな香水よりも良い香りがするモモの体臭はその最後までそのままでした。走馬灯のようにモモとの思い出がよぎり、わたしの感情は行き場を失いました。
モモが最後にくれたもの
今回、モモは素敵な時間をわたしに与えてくれました。モモが去る14日の週は、わたし以外の家族は帰省中で不在でした。そう、数年ぶりにわたしは、独身時代のように、モモとわたしだけの時間を過ごしたのです。
わたしは家族が帰省中、数年ぶりに得られた独りだけの時間を使って、古い友人とご飯に出かけたり、外出をしようかと計画しておりました。しかし、すべての予定をキャンセルし、月曜から一歩も自宅から出ることなく、モモから一時も離れることなく、モモと寝食を共にし、わずか4日間でしたが、モモと最後の大切な時間を過ごしました。今思うと、モモはわたしと過ごすため、旅立つ日を遅らせてくれたのかもしれません。
モモへ
モモ、君はわたしにとって苦楽を共にした、かけがえのない最大の理解者でした。何度も人生にくじけそうになったけれど、君のおかげで乗り越えることができました。長い間、本当にお疲れさま。こんなわたしのそばにいてくれて、ありがとう。
また会える日まで。
モモ、さようなら。そちらで待っていてね、わたしはもうしばらくこちらで頑張ります。そして、また会える日まで。